文化祭のようだなぁ
2010/11/10 06:53:37
メインで使っているデスクトップPCの液晶モニタが壊れてくれちゃったので、色が塗れないよぅ……
というわけで、下書きをiphoneでパシャリしてUP。
それにしても、きちんと絵を描いたのは本当に久しぶりなので、自分の描けなさ加減にびっくりしています。
pixivもずっと避けていたんですよ。だってもー皆さん上手いんだもんね。
あれ、これは私描かなくていいじゃん?かくだけ恥?とか思ってたんだけど。
いや~。
萌えの力は凄い。
どんどん描きたくなるし、もう下手さとか気にならなくなるww
私はどうも二次創作が苦手で。
見るのはいいんだけど、作れない。どんな作品でも、原作スキーなので。というか原作原理主義者かもw
だけど、それって損だなぁってずっと思っていたんです。
だって、どんどん愛の力で(w)描いてくとね、皆本当に上手くなってく。
萌えの力でどんどん描くし、交流して少しでも評価されるとそれがまた糧になって描く。
下手だし……原作とは違っちゃうし……なんて引っ込んでるのは本当に損だなって。
だけど、原作原理主義者は変えられない。
そんな私のドツボにはまったのが鬼子萌化ぷろじぇくと。
これって、誰もがオリジナルなんですよね。
鬼子と鬼子の世界の概念を、皆が持ち寄ったイメージの糸を少しずつ縒り合わせるように作っていく。
その概念も、心はすごく確固たる物があるんだけど、周辺はゆる~い。
その緩さと言うのがキモで、『あんたの中のイメージがオリジナルでいいよ』って言うのがとてもイイ。
原作原理主義の私でも好きにやっていいんだ!って思えるから。枷が外れた。
それから、皆でちょっとづつ決めてく感じもとても萌える。いや燃える?
文化祭みたいな?w
作る人
運営する人
見る人
この三者のどの立場にも自由になれるし、やれる範囲、やりたいことで参加するだけでいい。
よく、本スレなんかで、『モノを作らずして口だけ出すべからず』みたいな意見があるけど、私は具体的なモノを作らない(目で見たり聴いたり読んだりできるもの)人、もしかしたら作れない人だって、このぷろじぇくとに参加してると思うんだ。
こういうのがいいな~とか、こうしようよ~とか、そういう小さい萌えごころだって、設定のアイディアだしだけだって、いいじゃん。それが創作する人の糧になるかもしれない。
創作する人がどんどん創作出来るように、盛り上がってみんなで楽しめるように場をまとめたり、法的なこととか、未来起こりえる厭なことが起こらないように予防策を考えてくれたり、そういう運営的なことをするのが得意な人だって、ぷろじぇくとのナカマだと思うし。
そして、出来た作品を見て楽しんだり、評価したり、次はこんなのをとか言ってくれたりする人だって大事。
ていうか、もう萌えた人はみんなぷろじぇくとのナカーマでいいよねw
鬼子TMRだこれはw
こういうとこがなんか好きだ。
まあ、バランスは大事だと思うけれど。
やっぱ作品をどんどん作りたくなるような土壌作りが大切ですよね。
運営さんは作家さんが作品を生み出したくなる環境をつくってかないとだし、作家さんは運営さんをないがしろにしないようにしなくちゃね。
(さん てつけると役割が誰かに分担されてるみたいだけど、そこは流動的だというのは前に述べたとおりです)
そして、SNSほど強くない、ゆる~いかんじの連帯感みたいなのがいい。
やれる人がやれるだけやりたいことやればおk。
やりたいやつはどんどんやれーもっとやれー♪
もうひとつ、私が鬼子ぷろじぇくとに共感するのは、そのコンセプト。
罵詈より愛を。破壊には創造で。
ストレートじゃ恥ずかしいから、斜め上いくやり方でw
鬼子ぷろじぇくと、盛り上がってくといいなぁ。
というわけで、下書きをiphoneでパシャリしてUP。
それにしても、きちんと絵を描いたのは本当に久しぶりなので、自分の描けなさ加減にびっくりしています。
pixivもずっと避けていたんですよ。だってもー皆さん上手いんだもんね。
あれ、これは私描かなくていいじゃん?かくだけ恥?とか思ってたんだけど。
いや~。
萌えの力は凄い。
どんどん描きたくなるし、もう下手さとか気にならなくなるww
私はどうも二次創作が苦手で。
見るのはいいんだけど、作れない。どんな作品でも、原作スキーなので。というか原作原理主義者かもw
だけど、それって損だなぁってずっと思っていたんです。
だって、どんどん愛の力で(w)描いてくとね、皆本当に上手くなってく。
萌えの力でどんどん描くし、交流して少しでも評価されるとそれがまた糧になって描く。
下手だし……原作とは違っちゃうし……なんて引っ込んでるのは本当に損だなって。
だけど、原作原理主義者は変えられない。
そんな私のドツボにはまったのが鬼子萌化ぷろじぇくと。
これって、誰もがオリジナルなんですよね。
鬼子と鬼子の世界の概念を、皆が持ち寄ったイメージの糸を少しずつ縒り合わせるように作っていく。
その概念も、心はすごく確固たる物があるんだけど、周辺はゆる~い。
その緩さと言うのがキモで、『あんたの中のイメージがオリジナルでいいよ』って言うのがとてもイイ。
原作原理主義の私でも好きにやっていいんだ!って思えるから。枷が外れた。
それから、皆でちょっとづつ決めてく感じもとても萌える。いや燃える?
文化祭みたいな?w
作る人
運営する人
見る人
この三者のどの立場にも自由になれるし、やれる範囲、やりたいことで参加するだけでいい。
よく、本スレなんかで、『モノを作らずして口だけ出すべからず』みたいな意見があるけど、私は具体的なモノを作らない(目で見たり聴いたり読んだりできるもの)人、もしかしたら作れない人だって、このぷろじぇくとに参加してると思うんだ。
こういうのがいいな~とか、こうしようよ~とか、そういう小さい萌えごころだって、設定のアイディアだしだけだって、いいじゃん。それが創作する人の糧になるかもしれない。
創作する人がどんどん創作出来るように、盛り上がってみんなで楽しめるように場をまとめたり、法的なこととか、未来起こりえる厭なことが起こらないように予防策を考えてくれたり、そういう運営的なことをするのが得意な人だって、ぷろじぇくとのナカマだと思うし。
そして、出来た作品を見て楽しんだり、評価したり、次はこんなのをとか言ってくれたりする人だって大事。
ていうか、もう萌えた人はみんなぷろじぇくとのナカーマでいいよねw
鬼子TMRだこれはw
こういうとこがなんか好きだ。
まあ、バランスは大事だと思うけれど。
やっぱ作品をどんどん作りたくなるような土壌作りが大切ですよね。
運営さんは作家さんが作品を生み出したくなる環境をつくってかないとだし、作家さんは運営さんをないがしろにしないようにしなくちゃね。
(さん てつけると役割が誰かに分担されてるみたいだけど、そこは流動的だというのは前に述べたとおりです)
そして、SNSほど強くない、ゆる~いかんじの連帯感みたいなのがいい。
やれる人がやれるだけやりたいことやればおk。
やりたいやつはどんどんやれーもっとやれー♪
もうひとつ、私が鬼子ぷろじぇくとに共感するのは、そのコンセプト。
罵詈より愛を。破壊には創造で。
ストレートじゃ恥ずかしいから、斜め上いくやり方でw
鬼子ぷろじぇくと、盛り上がってくといいなぁ。
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